手話への想ひ

どうして“手話”なのか

当団体Knotのモットーは
「ひと と ひと が手話でつながる」。
つながる手段は手話でなくても
良かったはずです。
どうして“手話”を選んだのか。

Knot発起人である、カサイは、
中学2年まで手話の「し」すら知らず、
その前まで、手話に触れる機会が
何度かはありましたが、
指文字を覚えることにすら抵抗がありました。
(指文字とは、50音の1音を1つの指の形で
1対1対応させたものを言います。)

しかし、中学2年の時に、転機が訪れます。
母の知人の紹介で、
聴覚障がいをもつ小学〜高校生たちの
集まり『かけはし』に参加。
(半強制だったので、いやいやながら笑)

会場のドアを開けてみると、
さまざまな年齢のろう児たちの間で
“手の動き”で矢継ぎ早にやりとりされ、
そのたびに色んな感情が
彼らの顔に表われては消える。
ただただまぶしい。
生々しい“手話でのやりとり”を初めて
目撃した瞬間でした。

そこからは、やりとりを目で追いかけながら、
1つの表現を日本語とに照らし合わせていく
静かな忙しい作業が繰り返されました。

そんな中、『かけはし』1大イベントである
野外キャンプのリーダーに任命されたことも
功を奏し、ようやく手話表現や
手話読み取りがサマになってきたのは
高校1年になる頃。
(地域の中高に通っていたので、
手話を使う機会は3ヶ月に1日程度でした。)

そんな折、これまで以上にきちんと“対話”が
なされていることに気が付き始めます。

手話の習得が進むにつれて、
“相手に自分の言いたいことが伝わる”
“相手の言っていることがわかる”
というひとつひとつの経験が
より鮮烈なものとなってきたからでしょう。

それによって、紙面上での学びで得られた、
学習言語でしかなかった言葉が、
教科書の字ヅラを追っても
空虚にしか響かなかった言葉が!
生活言語としてのコトバの面も
次第に帯びてくるようになり、
ふと、気がついたら、
手話はもとより、コトバのとりこに
なっていた…そう思っています。

すっかりトリコになってしまった手話で、
もっといろんな人とやりとりしてみたい。
そのためにも、手話を使える場を増やそう!
そう想って始めたのが“Knot”なのです。

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